2014年3月15日土曜日

スピリチュアルメッセージ Vol.6



スピリチュアルメッセージを久しぶりにupしました。

よく、「全ての望みは叶うためにある」「叶わない願いはない」という言葉を耳にしますが、それが意味するところやその仕組みを教えてもらいました。

私たちが体験することは全て心の反映です。思考、思い込み、観念。そういったものの中で、より強く信じている概念が表現されます。

自分が持っている観念に気づき、それが好ましくないものであれば変えることにより、現実も変わります。

本当は時間も距離も存在しない、ということを体感しやすい空間になってきたようで、わくわくします。

スピリチュアルメッセージ Vol.6
http://www.lotus-at-lotus.com/message06.html


2014年2月24日月曜日

フランスの教会(10) Saint-Nicolas-du-Chardonnet, Paris

 

この教会は、泊まっていたホテルの向かい側に位置していたので、ちょっとお邪魔してみました。夕方5時頃に訪れたのですが、お勤め帰りと思われる人たちが数人、熱心にお祈りをしていました。仕事の後などに、静かに自分と向き合う時間を持つために立ち寄れる場所があるのとないのとでは、生活に大きな差が出るのではないでしょうか。日本だと、どんなところがそれにあたるのかなあ、と思いました。宗教的な場所ですと神社やお寺があり、通勤前後に鳥居や門の前で一礼する光景は時々見受けられます。その一瞬も大きな意味を持つでしょうが、座ってゆっくり過ごせる空間が持つものとは少し違うかもしれません。特に寒い季節は、建物の中にいられるのはいいですね。カフェやバーがそういった役割を果たしていることもあるかと思います。





パリでは2つのホテルに泊まりました。

Hotel Abbatial
http://hotelabbatial.com/


大きな通りに面しており、夜半過ぎまで車の音が結構していました。車の音が聞こえなくなった頃、隣の部屋から地響きのような音がしてきました。地響きと思ったのはいびきでした!パリのホテルは建物が古いため壁が薄い、と聞いてはいましたが、そこまで聞こえるなんて、と夜中に笑ってしまいました。

もう1つのホテルは
Citadines Prestige Saint-Germain-des-Prés
http://www2.citadines.com/en/france/paris/saint_germain_des_pres.html


アパルトマンタイプで、リビング、キッチン、ベッドルームが分かれている部屋でした。リビングには大きなソファベッドがあるので就寝時は1人1部屋、という感じで、またバスタブもしっかりしたものが付いていたのでゆっくりできました。どこに行くにも便利な場所にあり、カフェ、スーパー、お惣菜屋さんも近くに沢山あるので、いわゆる「暮らすような旅」がしたい方には、お勧めです。写真はホテルサイトのものですが、写真通りのお部屋でした。サイトに掲載されている写真のイメージで訪れると、実際のお部屋は見劣りすることが時々ありますが、このホテルに関しては、雰囲気も間取りもサイトよりも良かったです。ノートルダム寺院にも、ルーブル美術館にも歩いていける立地です。



2014年2月17日月曜日

フランスの教会(9) Sainte Chapelle, Paris

 


ここは本当に美しい場所でした!礼拝堂が1階と2階に分かれていて、2階は王室の人々のため、1階は彼らに仕えている人々のためだったそうです。上の写真は2階の王室用のきらびやかな礼拝堂。1階からの薄暗い階段と(昔のこととはいえ、王室の人たちがこんな階段を上ったのかな、と思うような狭い階段でした)それを上りきったところに現れる豊かな光のギャップが、この空間の美しさを引き立てているようでした。

1階の礼拝堂も、アーチや色使いが美しく、こちらも素敵でした。




ここに限らず、教会では定期的にコンサートが開かれています。あいにくスケジュールが合わず、生で聴くことはできなかったのですが、この教会でのコンサートを収録したCDを購入し聴くと、これもまた美しい!次回はぜひライブで聴きたいものです。
教会でのコンサートスケジュールは、各教会のHPや下記のサイトで確認できます。
http://www.classictic.com/





2014年2月13日木曜日

「好き」を確認

 

「本日のカード」を始めて、もうすぐ1年になります。私は子供のときから何かを続ける、コツコツと努力する、というのが苦手で、「本日のカード」を始めるときも、「本日」ではなく、「今週のカード」くらいにしておいたほうが無難なのでは、と思いました。

それが自分でも意外なことに、旅行などで留守にしていた日以外は毎日カードを引くことができました。

今まで何かを始めても、二日も続かず、三日坊主にもなれないことがよくあった私には驚きです。本当に好きなことなら続けられるのかもしれません。

もしあなたも一つのことを続けるのが苦手で、それは自分の意志の弱さのためではないか、と考えているなら、それが本当に好きなことかどうかを確認することをお勧めします。実はそんなに好きなことではなかったり、「好き」と思い込んでいるだけだったりするかもしれません。あるいは、そのしたいと思っていることそのものに惚れこんでいるのではなく、「それ」が有するエネルギーに惹かれているのかもしれません。

続けるのが大切、というわけではありませんが、もし興味の対象が頻繁に変わって、そのことで自分を否定的に見ることがあるなら、「好き」なことチェック、してみるといいでしょう。

フランスの教会(8), Saint-Symphorien, Nuits Saint Georges

 

文化遺産に指定されている13世紀建立のサン サンフォリアン教会。訪れたときはイベントの準備中で、残念ながらゆっくり中を見る雰囲気ではありませんでした。後から調べると、文化遺産に指定されているだけあり、歴史的な装飾物が数多くあるようです。


 
 今回の旅行を計画するにあたって、地域の観光案内所のサイトを参考にしました。メールで問合せをしたらすぐお返事がもらえ、また、現地に着いてからも親切に色々教えてくれました。
 
ブルゴーニュ地方観光案内
 
Nuits Saint Georges観光案内
 
Tournus観光案内
 
 


2014年1月13日月曜日

フランスの教会(7) Notre Dame de Saint-Denis, Nuits Saint Georges

 

ブルゴーニュ地方の旅の拠点として滞在していたニュイサンジョルジュには、教会が2つありました。初めに訪れたのは、19世紀に建てられたサンドニ ノートルダム教会。

入り口のドアを開けた途端、思わず「うわぁ」と声が出てしまうくらい、光に満ちあふれた空間でした。お天気の良い日だったからでしょう、日光で輝くステンドグラスの窓、そしてあちらこちらの壁や床に映るステンドグラスの虹色の影、本当にきれいでした。写真でお伝えできないのが残念です。


 
 
 
 
 
どの教会にも十字架に架けられたキリストの像がありましたが、この教会のものは他の像とは異なるものでした。上の写真がそうです。他の教会のキリスト像は、頭には茨の冠を乗せられ、両手の平は十字架に釘で打ちつけられ、力なく頭を垂れている姿のものでした。それは象徴だと分かっていても痛々しく、見ているのが辛くなることもありました。一方、この教会の像は色使いが柔らかく、キリストの雰囲気もまるでシャバーサナをしているかのように、穏やかに見えました。こういった雰囲気の像は、他の教会にもあるのでしょうか。
 
帰国してから訪れた都内のキリスト教用品ショップに、素敵な十字架像がありました。私は今回初めて見ましたが、お店の方によると、ミレニアムを記念して2000年前後に多く制作されたものだそうです。
 

 

 
キリストが磔にされている十字架を支えている神。支えている以上に十字架は神の体そのものである、ということ。完全なる信頼と共に、心も身も大いなる存在に預ける。全ては大いなる存在の胸の内で起きている。十字架に磔にされているのではなく、神に身を委ねている。そのような思いが浮かんでくる十字架像でした。
 
 
 
 

2014年1月3日金曜日

フランスの教会(6) St-Benigne, Dijon


ディジョンは14~15世紀に栄えたブルゴーニュ公国の首都です。当時建てられた教会や貴族の館が美しい街でした。




私たちが訪れたのが日曜日だったためか、街は閑散としていました。ほどんどのお店が閉まっており、開いていたのは美術館。



 美術館の後に訪れたのは、St-Benigne大聖堂。

 
 
大聖堂のドアを開けると、パイプオルガンが大きな音で響いていました。パイプオルガンが有名な教会らしく、日本のオルガン奏者も多く訪れるそうです。
 
地下のクリプトも美しく、またまた長居したくなる教会でした。

 


パイプオルガンにまつわる思い出があります。

地方から東京に遊びに来ていた友人と会う約束をしていた日のことです。特に何もしていないのに、出掛けに姿見が倒れて、鏡が粉々に割れてしまう、ということがありました。家を出る1分前にそんなことになり、できればそのままにして、帰宅してから片付けたかったのですが、当時犬と一緒に暮らしていたので、そうもいきません。犬が破片を踏まないよう、慌てて避難させ、割れた鏡を片付けました。めったに会えない友人を不慣れな場所で待たせることになり、なんでこんな時に~、と思いながら大急ぎで片付け、待ち合わせ場所に向かいました。遅刻を詫びる私に友人は「遅れてきてくれてありがとう!」と。聞くと、待ち合わせ場所の近くでパイプオルガンの演奏があり、私が遅れた時間の内にちょうど一曲聴きに行くことができた、それがとても良かった、とのこと。友人を待たせたくはなかったし、姿見が割れたのも残念でしたが、その結果、友人がいい時間を持つことができた、という出来事でした。

ある出来事の一コマだけを取り上げると、残念だったり、イライラの理由になったりするようなことでも、その次のコマと繋げると、楽しいことの起点となっていた、ということがあります。

ある日、駅のキオスクで買い物をしようとしたときのことです。ガムやアメといった、ごく一般的な物を買おうとしたのですが、店員さんが「値段が分からない」と、ファイルを出して調べ始めたのです。正確な時間は分かりませんが、かなり長い間ファイルのページをめくっていました。素早さが売りのキオスクなのにどうしちゃったんだろう、と思いながら、急いでいたわけではなかったので、値段を調べてもらって購入しました。キオスクを離れて駅の構内を歩いていると、長い間会っていなかった友人が向こうから歩いてきます。偶然の再会を喜び合いながら、キオスクでいつものようにすんなり買い物が済んでいたら、タイミングがずれて、友人とは会わなかったかも、と思いました。

こういったことがそれから数回ありました。それ以来、どこかで思いがけず待たされたり、あまり嬉しくないことがあったりしたときは、その後に「偶然」と思える何かがやって来るのかも、と楽しみにするようになりました。友人が聴けたパイプオルガンのコンサートのように、楽しいことは私自身が体験するとは限らないので、私の知らないところで起きているかもしれません。

会うべき人とは必ずどこかで会うので、一度のタイミングのずれは問題ではありません。また、何かの機会も、一度逃したとしても、何度もやってきます。そのお膳立てのために宇宙がするタイミング調整、とても興味深いです。